DOCTOR INTERVIEW

ドクターインタビュー

地域包括ケアの未来地図つくり

医療法人 貝塚病院
庄司 哲也理事長

Profile
専門は外科、血管外科。日本外科学会専門医。医学博士。2006年より現職。福岡市医師会専務理事。趣味は馬で馬主であり、週末はもっぱら厩舎の世話とゴルフ。博多祇園山笠中洲流に属している

10年かけて作り上げた未来地図を2030年に向けて形にしていく

福岡市東区の救急対応もできる総合病院である「貝塚病院」では地元住民も参加する「東区自治協第5ブロック地域包括ケア連携会議」を2012年より開始。議題を地域の方たちに公募して、コロナ禍もズームを使用し会議を重ねてきた。医療職と地域住民が顔を合わせて一緒に話せる場を設けて、その時々の問題点を出し合ってきたのだそう。
「100名くらい集まるので、リーセントホテルのホールを借りて、地域の方たちと問題を語り合ってきましたが、ずっと変わらず上がるのは個人情報の扱い方の問題と、独居老人の増加ですね。医療や介護などに関しては、『地域包括ケア』という取り組みがありまして、箱崎・東箱崎・筥松・松島・馬出は『東区自治協第5ブロック』に属しています。最初は地域の公民館を回って身近な問題について話してきました。はじめたばかりの頃はなんでこんなことを病院がするの? 利権でもからんでいるんじゃないの? といぶかしがられましたが、10年続けて、コミュニケーションをしっかり取り続けたことで、地域の皆さんが病院を応援してくれるようになりました」。そう語ってくれたのは、理事長の庄司哲也先生だ。

高齢化と人口減少が顕著になる2030年問題、そして労働力不足、社会保障費増大、医療・介護サービスの需要増加の2040年問題と、対処すべき社会問題は刻一刻と迫っている。現実的な解決策とこれからの街づくりの根幹となる医療の立ち位置を考える取り組みだ。 「私が貝塚病院の理事長になったのは34歳の時。当時は悪評の方が多くて、経営も赤字の状態でした。経営状況も信頼度も回復できたのは、一も二もなく『人』のお陰です。助さん角さんのような人がいまして、片方が提案するともう片方が実行する、みたいにとてもいい動きをしてくれるんです。我々で子ども食堂も運営しているのですが、これも彼らの提案だったんです。長期休暇明けに痩せて現れる子どもがいる。そんな子どもにとって給食が生命線だ、ということで、給食がない日でも食べられるように続けています。クリスマスにはピカチュウのドーナツを配ったんですが、本当にうれしそうにしてくれるんですね。ケーキだと形が崩れる心配もあるのでドーナツにしたのですが、これが大当たりで。こどもの笑顔を見るともっと頑張ろうと思います」。病院が何も子ども食堂までしなくても、という意見もある中、そして医療だけでも多忙な中でも取り組み続け、地域社会と共に歩む姿は、やがて応援、協力という形で現れてきている。「困ったら助けてくれる人が出てくるんです。地域医療の実現に向けてサポーターのように動いてくれる人たちが増えてきているんです」と庄司先生は感慨深く語る。

人生で一番の追い風が吹いている今、
コミュニティの中心となる病院づくりに着手

病院の評判の劇的な回復と地域住民との連携の成功の秘訣は?

「貝塚病院には自慢の事務方が存在します。常々、良い病院には良い事務があると公言し、自分は事務方の意見を聞いて“GO”を出すのか、『ちょっと待ってね』と伝えるのか判断するだけです。運に恵まれているのか、人には恵まれています。さらに昨年、中学時代の同級生が病院に入ってくれて、副医院長をやってくれているのですが、彼は間違いなくゲームチェンジャーです。彼が来てからずいぶんと雰囲気が変わりました。これも追い風です。支えてくれる人に恵まれてここまで来て、本当に運だけでやってきているんですよ」と自己評価はほぼ謙遜だ。そんな庄司先生のこれまでの歩みが興味深いものだった。

「僕の曽祖父は吉岡禅寺洞という俳人です。俳句ばかり詠んで財産を食いつぶした人なんですが、今泉公園(通称三角公園)に吉岡禅寺洞の句碑がありますよ。両親は医者ではなかったのですが、病院経営をしていたため、医者を身近に感じてこの道を志しました。経営難に陥った貝塚病院が父に相談したことで、僕が理事として入るという流れになりましたが、実は父は病院の売却を考えていたようです。そんな中で僕が父に盾突きまして。病院を守り存続すべきだと反目したため、両親からは絶縁されました。どん底の時に手を差し伸べるどころか勘当を言い渡した親を恨んだこともありましたが、『貝塚病院を地域医療の中心となる立派な病院にすることが一番のリベンジだ』という妻の父の言葉に、頑張り続けられています。誰か僕の人生をドラマ化してくれないですかね?(笑) 」。

庄司先生が自らの壮絶な過去を話せるようになったのは、今が充実し、仲間と連携し未来に向けて進んで行けるからに違いない。2人の息子さんは医者を志しているだろうか?
「長男はそう言ってくれています。乗馬をしている次男は将来JRAで働きたいそうです。僕の休日の楽しみも厩舎の世話で、馬といるとなぜか癒されるんですよね。血管外科は細かい施術なので、手が震えるようになったら外科医は引退ですね。長男と一緒に手術室で仕事ができたらいつでも引退できます」。

そんな庄司先生が経験を元に後進に伝えたい言葉とは…?

「苦労しろと。年を取ったら体が動かなくなるけれど、若い時に苦労していたら我慢もきくんです。そして風をつかむ力を培ってほしい。置かれた立場で精いっぱい目の前のことをやっていたら風が吹く時がきっと来るので、その瞬間を捕まえて、と」。

庄司先生にも目の前に大きな課題が存在する。「今までの10年、これからの15年のビジョンを実行するだけです。今後、そのビジョンを実現しようとすると投資も膨大になりますから相応の覚悟が必要です。でも今、自分の人生の中で一番追い風が吹いていると感じています!」。

医療法人 貝塚病院

福岡市東区箱崎7-7-27
1988年開設した総合病院で
救急治療にも対応する。199床。