日本の現状の10年先を行く下関。これからの地域医療のフロントランナー
下関医師協同組合専務理事
下関市医師会理事
桃崎 和也先生
- Profile
- 1969年下関生まれ。久留米大学医学部卒業後、平成6年久留米大学第1外科学講座入局。関連の3総合病院に出向後、平成13年久留米大学消化器病センター第1外科学講座研究室(博士号取得)。平成14年に大腸肛門病センターくるめ病院(旧高野会日高病院)勤務後、祖父の代から外科医院として開業している医療法人桃崎病院の院長に平成18年就任。平成24年より理事長に。日本大腸肛門病学会専門医/日本外科学会認定医/日本消化器内視鏡学会/日本栄養治療学会(JSPEN 旧日本静脈経腸栄養学会)骨盤内機能障害研究会会員。山口県病院企業年金基金理事も兼任する。
三代にわたり地域医療に取り組んでいらっしゃいます。下関の現状についてお聞かせください。
「山口県は’24年のデータで全国6位の高齢化率で、とりわけ下関は全国平均が29.3%という中で36.9%と、高齢化率が「10年先行」していると言われています。下関市医師会でも開業医の高齢化と会員数減少が問題となっていて、2040年問題の前に休日当番や夜間診療所の維持が困難になりつつあります。下関市の人口も、2040年には20万人以下になると推計されていて、急性期医療では市内の4総合病院のうち、2病院の統合計画が進んでいます。『当院が百周年を迎えることができるか』ですが、日本医師会のJMAPの試算によると、医療需要は’20年をピークに減少し、’50年には24%減の予測です。現実を受け止め時代に合わせつつ、患者さんに選ばれる医療施設にならなければいけないと考えています。
桃崎病院は、かつて民間病院ながら24時間外来対応を実施していましたが、約15年前に終了しました。夜勤可能な看護師の不足とニーズ減少が背景にあり、病棟の夜間体制を優先して再編しました。家族が県外在住で送り迎えを頼めないケースも多く、自力通院が難しい高齢者が増加。通院困難者には訪問診療への切り替えが進んでいます。現在は3人の医師で自宅および高齢者施設への訪問診療を分担しています。私自身、専門は外科・消化器ですが、高齢者向け総合診療外科として幅を広げています」。
2年前に創立70周年ということで、医者を目指したのは自然のなりゆきでしょうか?
「兄がすでに医学部に進んでいて跡取りはいるし、自分は好きな道に進もうと、叔父の影響で歯科医を目指していました。ところが医学部も受験したら合格して、当の叔父からは医師を強く勧められたため、医学部に入学しました。兄は病理医として福岡市内に、弟は皮膚科医として近所に開業し、結果私が病院を継ぐことになりました。祖父、父、そして私と三代にわたり、地域では『盲腸といえば桃崎』と呼ばれるほど虫垂切除を多く担い、1日十数例の手術をした時期もありました。病院も移築増築を重ね最大128床になりました。令和6年に創立70周年を迎えるにあたり祝賀会を計画していましたが、能登半島地震が発生し、被災地に配慮して祝賀会は自粛することにしました。職員とも話し合い賛同を得た上で、記念事業準備金を義援金として日赤に、また地域への恩返しとして下関市社会福祉協議会にも寄付させていただきました。地域の暮らしを支える在宅福祉サービスに役立てていただければとの思いからです。同じく計画していた70周年記念誌はほぼ自力で編纂、長い歴史での出来事も資料として整理しました。残余は職員の慰労に充て、内輪だけで会を催しました。
また、在宅医療の増加に合わせて病床数を縮小する建て替え計画を2年かけ進めておりましたが、残念ながら資材高騰のあおりで改装へ転換しました。現在基礎設計まで終えた段階ですが、補修だけではなく災害に強い建物にすべく計画しております。実はこの地域は高潮浸水想定区域なので、機器の上層階移設やソーラー発電導入など、防災強化策を模索しています」。
70周年の節目に未来へとシフト
地域医療と防災、働きやすさの実現へ
地域医療の最前線に立ち感じることはありますか?
「医療療養病棟では高齢の患者さんに寄り添い傾聴する時間が必要なのですが、診療報酬改訂の度に業務多忙となり、記録などに追われています。医療DXとして電子カルテや院内・在宅の患者見守りシステム導入が必要となりますが、導入、維持、サイバーセキュリティへの保険など、診療報酬以外のところでかなりのコストがかかります。現場が記録や算定に追われて業務が圧迫されるのは避けたいと思います。DXが不可欠であれば、国や行政には手厚い支援を、機器メーカーには安価での提供をお願いしたいです」。
若い医師に今、伝えたいことはありますか?
「私の研修医・研究室時代は、大学図書館で医療情報の孫引き検索をしたり、その分野の卓越した研究者にご指導を伺いに参ったりして学会の準備から発表、博士号取得と、臨床もしながら行っていました。休みも少なく睡眠不足で思い返してみてもハードで、現在とは真逆の状況でした。とは言え、当直漬けの中で術後管理を含め幅広い経験を積めたのも事実で、自分の専門外でも先輩の教えを乞いながら対処し、多くの経験を積めました。働き方改革後は就業時間を厳守しなければならず、経験機会が減少しています。医学部卒業後5年間の経験がとても重要と身をもって感じましたので、制約がある中でも時間内に何をすべきか考えて行動して欲しいと思います。コミュニケーション力も重要です」。
医療現場で心に残るエピソードはありますか?
「ひとつは研修医時代の初担当患者さん。78歳の肺がん患者さんでしたが、無事退院した後も15~16年にわたり各赴任先に会いに来られ、その度に初心を思い出させてくれる存在でした。もうひとつは、別の病院で卵巣がんの治療をされていて腸閉塞になり搬送されてきた女性です。シングルマザーだったので在宅を希望され、当時勤めていた病院では在宅診療は実施していなかったのですが、良かれと思い担当しました。ですが、患者さんのご姉妹に多くの説明を求められまして、その対応に追われることになりました。妹さんたちも同じ病気だっため心配が強く出てしまったということが最後にわかりましたが、その経験からも多くの学びを得ました」。
休日の楽しみは何ですか?
「もともと体を動かすことが好きで、学童期から剣道と水泳、大学時代は空手道部で汗を流しました。インドア派で日差しに弱いのですが、今は月1~2回、週末にゴルフを楽しんでいます。医師会主催の競技や懇親会も含めて、先輩、仲間との交流はとても為になります。特に下関医師会と門司医師会の源平戦ゴルフコンペは私の生まれた年には始まり、父も含め諸先輩方が大切にしてこられた百回を超える歴史ある懇親会です。下関ゴルフ倶楽部と門司ゴルフ倶楽部で開催し、懇親会は全員で関門連絡船に乗り会場入り、表彰式ではお互いを讃えつつも舌戦を繰り広げる楽しい時間です。イベントの幹事を仰せつかることが多くなり、皆さんに喜んでいただけるのが楽しみになっています。ゴルフは自己流のため『人の言うことを聞かないモモちゃん』と言われるほどでしたが、小中学校時代の先輩から誘っていただくプライベートゴルフで助言をいただき、違う球が打てるようになり楽しみが増えました。3年前からは市医師会の野球部に入部し3師会+保健所のソフトボール大会に向けての体づくりに励んでいます。昨秋の大会ではピッチャーとして3試合投げました。結果は準優勝でしたが優秀選手賞をいただきました。でも3試合も投げると脚がつりそうになりました(笑)」。
頼まれると断れない人の良さがにじみ出ていますね。
「同級生の長崎医協の橋本清先生もそうだけれど、それが久留米大学カラーなのかもしれません(笑)」。
風光明媚な下関ゴルフ倶楽部でプレイする桃崎先生
ほぼひとりで編纂した70周年記念誌
お子さんがチームに入っていた時にコーチとして関わるようになり、断りきれずに最後は監督も務めたソフトボールも、今やご自身がピッチャーとして大会で活躍!
お子さんがチームに入っていた時にコーチとして関わるようになり、断りきれずに最後は監督も務めたソフトボールも、今やご自身がピッチャーとして大会で活躍!